« 【講演】日本経済の構造的問題点を踏まえた今後の経済発展のための処方箋案 | トップページ | 【マクロ経済(2/4)】日本は既に十分“小さな政府” »

2011年1月20日 (木)

【マクロ経済(1/4)】リバタリアン的な考え方

 

 とあるところの、ある勉強会後のやり取りの一部を備忘を兼ね、メモしておきます。以降、これを含め4つに分けて貼っておきます。「マクロ経済」のポイントに関することですので、オリジナルのものに、若干の修正と加筆を行っています。
 個人が特定できないよう、配慮したいと思います。

=====≪quote≫
 自身の頭の整理もあって、ちょっこし、長文になるかも知れません。

> つい最近、マイケル・サンデルの著書(「これから正義の・・・」を
> 読み公共政策のあり方の根本にある「正義(哲学)」について、
> 考える良いきっかけになりました。
> (個人的には、ハイエク・フリードマンに代表されるリバタリアンの
> 思想に共感しているので、特に良い刺激でした)

⇒ サンデルさんの本、私が非常勤講師(客員教授)を務める、あるところの社会人学生から以前プレゼントされました。

 年末だったか、NHK教育テレビの番組で、ハーバード大学での彼の授業風景を視聴しました。第一印象として、記憶力のよい方なのだなぁと感じました。何せ、最初の質問・回答者(学生)から派生する種々の話題・テーマに関する、続く学生のやり取りを、名前とその発言内容のポイントまでよく記憶しており、てきぱきとした授業の進め方などに、とても感心しました。
 私などは、名前すら、すぐに忘れてしまいますので。

 ただ、そのやり取りの内容には、「へぇ~、そのように考えるのか、ちょっと問題意識が違うな」と言うものばかりでした。彼は、共通善を強調するコミュニタリアン(共同体主義)の政治哲学者であり、私の視点は、政治における共通善を追求するにも、国民経済がまとめでない限り、その種の善などは共有できないとするものですから。

 マルクスのいう、経済(生産力)が土台・下部構造(生産関係)を規定し、そしてその土台の上に構築されるものが形而上学的なもの(共通善含む)だ、という社会経済の捉え方は必ずしも間違っていないと思います。もちろん、私はマルキストでも左翼でもないつもりです。しかし、経済基盤が重要であることは、誰からも否定されるべきものではないでしょう。

 ハーバード大学の大ホールでのサンデル氏の講義は、学生の風貌からしてグローバルな感が強く、まさに米国は学術分野でも世界の覇権を今もまだ誇示しているかのような、日本の大学教授には通例ない堂々したものがありました。ただ堂々として話していることが、正しいか、あるいは共感を覚えるかは、また別なのでしょう。

 書くまでもないのでしょうが、リバータリアニズムの元祖は、あるべき人間像や社会像を小説や評論文の形で1950年代に提起した、ロシア・サンクトペテルブルク生まれのユダヤ人であり、後に米国に移住したアイン・ランド女史のはずです。
 古典的自由主義者と言われる、ミルトン・フリードマン、 ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスやハイエクのような人々に影響を与え、最近では、日本人の大好きなサッチャーやレーガンの政治信条として、世に知られるようになりましたね。

 私もかつては、この考え方に大いに共鳴していました。

 ウィキペディアによれば、≪リバタリアンはレッセフェールを唱え、経済や社会に対する国家や政府の介入を否定もしくは最小限にすることを主張する。 また、自律の倫理を重んじ、献身や軍務の強制は肉体・精神の搾取であり隷従と同義であると唱え、徴兵制と福祉国家には強く反対する。なお、暴力、詐欺、侵害などが起こったとき、それを起こした者への強制力の行使には反対しない。個人の自由と自由市場を擁護する等、ごく少数の基本事項以外これがリバタリアンであるというような定義は存在しない。≫ということです。

 経済がそこそこうまく成長もしくは発展している時には、この考え方に同意します。
 しかしながら、現在の日本経済がもう15年~20年もデフレ状態が続く状況下、あるいは“リーマン・ショック”後の世界経済(特に欧米経済)も最近デフレ基調に本格的になってきた状況下では、その限りではありません。
 この区別を付けることができるかが重要です。日本の経済学者・エコノミストあるいは政治家・官僚の多くは、この区別ができていないと思います。

 リバタリアン的な考え方をする、ミーゼス(オーストリアン学派)の信奉者であるトーマス・ウッズ(Thomas E. Woods Jr.)の『メルトダウン 金融溶解』(2009年8月)「A Free-Market Look at Why the Stock Market Collapsed, the Economy Tanked, and Government Bailouts Will Make Things Worse.」には、サブプライムローン金融危機などを題材とした景気循環(バブル形成・破裂と恐慌の出現)に関する鋭い考察がなされています。
 また、これは現下の自由市場とは対極にある人為的な「管理通貨制度」という前提を取り去った際の、マクロ経済もしくはグローバル経済のあるべき仕組みとしての中央銀行不要論と新たな通貨システム論が展開されています。

 しかしながら、この考え方やアプローチでは、現実的なデフレ経済下の問題を解決することはできないでしょう。

 その意味で、リバタリアン信条では、こと恐慌を防止すること、そして恐慌になってしまった後の構造的なデフレ経済の問題解決に関しては限界があることを、よく示している本だと思いました。

 “リーマン・ショック”前の資産バブルとその崩壊後の、ある種の(十分そうだと思いますが)経済恐慌について、歴史・理論・政策面で、大変適切な論を展開しているものに、例えば、ハイマン・ミンスキーの『金融不安定性の経済学 歴史・理論・政策』(1989年12月、原著は1986年出版)が挙げられるかと思います。勉強会の前日、私が紹介した経済学者です。
=====≪unquote≫

(続きます)

|

« 【講演】日本経済の構造的問題点を踏まえた今後の経済発展のための処方箋案 | トップページ | 【マクロ経済(2/4)】日本は既に十分“小さな政府” »

1.マクロ経済(財政・金融)とグローバリズム」カテゴリの記事

8.勉強会・研究会(社内および社外産官学活動)など」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 【マクロ経済(1/4)】リバタリアン的な考え方:

« 【講演】日本経済の構造的問題点を踏まえた今後の経済発展のための処方箋案 | トップページ | 【マクロ経済(2/4)】日本は既に十分“小さな政府” »