« 【環境エネルギー】エネルギー分野研究開発における国家戦略(私案) | トップページ | 【社内マクロ経済勉強会】中央政府と地方政府の役割・機能の違い »

2010年12月10日 (金)

【社内外の勉強会】「財政赤字」の本質⇒「私悪すなわち公益」

 この2週間ほどは珍しく、とても忙しくなり、当blogの更新も怠っていました。下述のこと以外に、年内には幾つかアップしたいと思います。
 今回は、社内勉強会でのeメールやり取りに関するもの(備忘録)です。

=====≪quote≫
PS1:
 別の外部向けの「有志国際マクロ経済勉強会」というのも、この夏頃から定期的に実施しています。
 この朝のマクロ経済勉強会とほぼ同じ内容のことを行っています。
 昨日は、主に「“リーマン・ショック”前後のグローバル金融の動きを踏まえた、今後の世界はどうなっていくのか」といった内容の前半を行いました。
 出席者は、平均40歳代の企業の社長さんを主に、会計士、証券マン、政治家らの皆さんです。
 経験豊富ということもあって、様々な反応があり、私もよい勉強になっています。

PS2:
 当社の次回の勉強会では、主に「財政赤字の意味」などについて、前回の続きを勉強したいと思います。
 よく勘違いするのが、国家(政府)の財政を家計のそれと対比して、その破綻状況を説明するやり方があります。

 財務官僚などが好むアプローチです。例えば、Oさんという元大蔵官僚エコノミストは、この8月に『2020年、日本が破綻する日 危機脱却の再生プラン』なる本を出しています。いわゆる破綻本です。その他元大蔵官僚で早大教授の有名なNさんなどいろいろいます。Nさんの近著も読みましたが、大きな勘違いをしていると思われます。近くこのblogでも、そのポイントを取り上げたいと思います。

 そのOさんの本のことは、上記の外部勉強会で、ある社長さんにより知らされた本です。

 先日の地方出張の際の、この本の半分ほどまで読んだ時点の感想ですが、まだ36歳のOさんには、経済思想史の中で画期的出来事とされる、1889年のホブソン(英国の経済学者)&マムマリー(英国の実業家・登山家)による『産業の生理学』が示している、あるいは古くはマンデヴィル(オランダ生まれのイギリスの精神科医で思想家)による、1705年に出た有名な『蜂の寓話』で示されている、「私悪すなわち公益」という経済の核心部分についてを知らないのだろうな、と感じました。

 つまり、不況(デフレ)下にあっては、「倹約・節約一点張りの過小消費ではなく、あたかも私益の赴くままの半ば悪徳的な行動・振る舞い“私悪”が、経済成長即ち社会の富・付加価値たる“公益”を生む」ということなのです。

 もちろん現代にあっては、地球環境負荷低減という前提に立脚した、分相応の持続的成長を目指すことが大事だと考えています。ただ、突き詰めれば経済の本質は、18世紀のバーナード・マンデヴィル、19世紀のホブソン&マムマリー、そして20世紀のケインズの洞察により示されていると思います。

 Oさんは、とある大学の准教授をしているようですので、その本を読みながら、教わる学生は気の毒だなぁと感じました。同じ財務官僚出身であっても、Nさんの近著の方がOさんのそれよりも、遥かに経験豊富ということもあって、なるほどと思わせることも少なからずありました。全て反論できますが・・・。
 Oさんのものから学ぶべきものは皆無に近いのですが、官僚エコノミストの典型的な思考パターンが読み取れて、それはそれで大変勉強になっています。この本のことも、当blogで取り上げることができるかも知れません。

 日本人は石田梅岩流の「倹約は美徳」という気質を伝統的にもっていますが、こと経済学では、「徹底した倹約≒貯蓄過多」は、却って経済を縮小させるのです。このパラドックスのようなことが、実は特にデフレ経済下にあっては真髄なのです。ケインズも『一般理論』23章で、この重要性について強調しています。

 財務省の言うような、プライマリー・バランス(財政赤字のうち利払い分を除いた均衡)や、債務(借金)の返済ばかりを考えていると経済は浮揚しないのです。
 債務返済のこと(例:債務残高)は、経済成長の「結果」であって、それを「目的」(大蔵・財務省や主流派経済学エコノミストの見方)としてはならないのです。
 前者が達成できれば、自ずと後者(債務率)は減少しますので、気にしなくてよいのです。

 また見方を変えれば、その国の「債務残高」とは、その国が「借金をできる能力・余裕力」の証なのです。その余裕力の残りがどの当たりにあるかを見る明瞭な指標は「悪性インフレ率」、即ち、経済成長させるに必要なマネー供給量と通貨の価値そのものを示すバロメーターです。悪性になれば政策金利を上げればよいので、それをコントロールすることは難しいことではありません。

 従って、債務残高そのものや、そのGDP比(債務率)などは、参考指標とみればよい類のものです。財務省やIMFなどが、この指標を問題視する際、その背景には必ずといって、増税か(財務省)、あるいは自らの組織の管理下・影響下に置きたいか(IMF)、といった類の国民経済の発展とは筋違いの、むしろ経済をより低迷・固定化させてしまうような思惑があるはずです。

 以上のことは、普段私たちの多くが、家計や企業の立場でしか物事を理解できないため、なかなかすっと入って来ない部分だろうと思います。
 しかしながら、この当たりのことを理解できるかどうかが、1971年のドル・金の兌換停止を前提としてできた、今の管理通貨制度下での経済を考察する際のポイントとなります。

 上記の政治家は、財政も自身の専門としているため、当初はこのような考え方がなかなか受入れられなかったようですが、その勉強会でカバーする財政以外の、より広範な内容を理解する中で、「ここのところ急速に共感を覚えるようになりました。できればシンクタンクと協働したいですね。例えば、一緒に特別会計にメスを入れたいなぁ。」などと、昨日おっしゃって頂くまで理解が進んだのかな?と勝手に感じました。(^-^)
=====≪unquote≫

|

« 【環境エネルギー】エネルギー分野研究開発における国家戦略(私案) | トップページ | 【社内マクロ経済勉強会】中央政府と地方政府の役割・機能の違い »

1.マクロ経済(財政・金融)とグローバリズム」カテゴリの記事

8.勉強会・研究会(社内および社外産官学活動)など」カテゴリの記事

コメント

日本人に関する '有ること' と '無いこと'。

感性があって、理性がない。
感想を述べるが、理想を語らない。

現実の内容はあるが、考え (非現実) の内容はない。
事実は受け入れるが、真理は受け入れない。

実学 (技術) は盛んであるが、哲学は難しい。
実社会の修復はあるが、理想社会の建設はない。

現実の世界は信頼するが、非現実の世界は信じない。
現実の内容を再現すれば、それは模倣である。
考え (非現実) の内容を実現 (現実化) すれば、それは創造である。
模倣力はあるが、創造力がない。

「今ある姿」を語るが、「あるべき姿」は語らない。
私語・小言は好むが、公言・宣言は好まない。
歌詠みは多いが、哲学者は少ない。

丸暗記・受け売りの勉強はあるが、考える力・生きる力がない。
学歴はあるが、教養はない。
序列判断はあるが、理性判断はできない。

学歴は序列判断の為にあるが、教養は理性判断の為にある。
学歴社会というのは、序列社会の言い換えにすぎない。
序列順位の低いことが恥と考えられている。サムライ社会のようなものか。
理性がなくても「恥を知れ」(Shame on you!) と叱責を受けることのない恥の文化が存在する。

民の声を代弁する議員は多いが、政治哲学はない。
総論 (目的) には賛成するが、各論 (その手段) には反対する。

理想 (非現実) は、現実に合わないと言って受け付けない。
現実の内容を根拠にして、理想を捨てる。
意見は個人個人で異なる。だが、小異を挙げて、大同を捨てる。

恣意 (私意・我儘・身勝手) が有って、意思がない。
恣意の力 (大和魂) に期待をかけるが、意思の力は認めない。
意思決定は困難を極め、多大な時間を浪費する。

「個人の意見は通らない」と言うが、個人を選出する意味が理解できていない。
意思があれば、手段がある。意思がなければ、手段はない。

この国には、何でもあるが、ただ一つ夢 (希望) がない。
この国には、現実はあるが、非現実がない。
日本語には現実構文の内容だけがある。日本語脳は、片輪走行である。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/20081

投稿: noga | 2010年12月10日 (金) 18時32分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 【社内外の勉強会】「財政赤字」の本質⇒「私悪すなわち公益」:

« 【環境エネルギー】エネルギー分野研究開発における国家戦略(私案) | トップページ | 【社内マクロ経済勉強会】中央政府と地方政府の役割・機能の違い »