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2007年8月 6日 (月)

【雑誌掲載】NTTの“野望”というよりも竹中懇の“野望”

20070730  海外出張前に脱稿しておいた『週刊エコノミスト』(2007年08月07日号)向けの記事が掲載されました。

 私の主張は、NTTの“野望”というよりも、どちらかと言うと竹中懇の“野望”というトーンのものでしたが、雑誌編集部との調整などもあって、結局、「事実(歴史)」を主とする内容になりました。

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■【特集】2010年「グループ再統合」の大逆転を狙うNTTの“野望”
・NGNプロジェクト 「再統合」「再独占」に向けた“トロイの木馬”か ⇒池田信夫
・次世代ネットワーク(NGN)とは/NTTの組織の変遷
・猛烈な「Bフレッツ」販売攻勢 ⇒濱村眞哉
・携帯戦争も激化 首位ドコモを脅かす総務省の新規参入促進策  ⇒太田智晴
・KDDI、ソフトバンクの「光」戦略 NTTの「独り勝ち」止めるには競争条件を変えるしかない  ⇒太田智晴
・NTT民営化と「2010年問題」 国内の「公正接続」政策より国際競争力の観点を重視せよ ⇒新保豊

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 私のオリジナル原稿を載せておきましょう。実際に掲載されたものは、雑誌社側の編集により、若干(?)手を加えられています。私が確認できたものは初校ベースのものであり、最終稿の確認は時間の関係かできませんでした。
 特に「民営化」や「分離分割」のもたらした弊害、あるいはデフレ下での過度な競争のもたらす負の側面については、かなり削除されています。

 その内情として、私のパートで当初想定されていなかった絵を急遽、編集部側で入れることになり、その分私の字数が削られたなどのことがありました。


■「NTT民営化から竹中懇談会までの経緯と今後」

≪タイトルの横≫
 経済成長と国際競争力の鍵を握るNTT問題の行方。これまでNTTの出方次第で決した通信業界はどこへ向かうのか。

≪リード≫
 「行政改革は神の声、天の声、地の声」だ。1981年の臨時行政調査会(第二臨調)での行革、三公社(国鉄、電電、専売)民営化を機に電電公社民営化の歴史はスタート、やがて通信市場の自由競争導入が本格化した。80年代の米国レーガノミクスなど新自由主義が台頭、民営化と自由競争が世界の主流となった。

 しかしその弊害が露呈し、国益の観点からもその成果の評価は分かれる。その上でNGN(次世代IP通信網)を踏まえた、将来の情報通信戦略はどうあるべきか。

電電公社の民営化と自由競争始まる

 71年以前、通信事業は日本電信電話公社による完全独占だった。75年から国債の大量発行時代に突入。「増税なき財政再建」を達成すべく、81年3月発足の第二臨調(土光敏夫会長)は、臨調の性格を明治維新、戦後改革につぐ第三の改革と位置づけた。その後、中曽根行改に結実し橋本政権での省庁再編につながっていった。

 74年頃の米国でAT&T分割要求が出されていたとは言え、臨調発足当時、国鉄にでさえ「分割・民営」という荒技は思慮されておらず、ましてや電電という公共企業体への改革は五里霧中の状況だった。そのなかの真藤恒電電公社総裁による、公社の効率経営には抜本的改革が必要だとの発言を弾みに臨調では、分割民営化の解がイメージされていった。全電通(現NTT労組)や自民党に加え、何と郵政省も激しく反対したが、82年7月の臨調答申では電電公社を5年以内に再編成(分離分割)するとされた。

 一方、維新・戦後からのわが国の歴史の影にあって、米国の圧力は“神の声”であり続けたようだ。実際同年、米国政府はVAN(付加価値通信網)サービスの自由化を要求。各方面での喧々囂々の議論の末、同年臨調により通信産業への競争の導入・自由化方針が決定された。84年AT&T が長距離主体の新AT&T とベル地域会社へ分割され、同年自民党は競争導入の方針を決定。ただ、NTTを民営化しても非分割とすることに留めた。

NTTの誕生から再編(分離分割)へ 

 翌85年日本電信電話株式会社法が施行され、NTTが誕生(電電公社民営化)した。また第二種事業者(設備非所有者)の規制案は、米国らの反対でほぼ完全自由化。86年には第二電電(現KDDI)、日本テレコム(現ソフトバンク)、日本高速通信など長距離系新事業者(NCC)が認可され、通信サービスの競争が幕を切った。

 この年、政府保有NTT株が119万円で放出された。当時の個人株主は、いまの上海株式市場と同様、素人同然でありNTT株はバブル経済を誘った。87年NTTが東証1部に上場すると、初日の買い気配は大引け近くまで値がつかず翌日160万円の初値。そして4月史上最高値の318万円を記録するに至った。

 遡って82年臨調答申は閣議決定もされたが、国鉄再建の緊急措置に比べ決定内容は緊急性がなかった。それに雇用の点で全電通の反対、答申後の株価低迷への大蔵省の株価対策、さらには真藤総裁の心変わりもあり、臨調答申は事実上反故にされた。当時は実際の競争もなく理念先行の感があったのだ。

 やがて88年長距離市場でNTT・NCC間の料金引き下げ競争で、にわかに通信市場が活況を呈してきた。これまで反故にされた内容は電気通信審議会に郵政大臣が諮問することで見直され、翌89年の同審議会中間答申は3つの企業分割案を提示。ただ結局、最終答申(90年)でNTT再編は95年まで先送りされた。

 その間ドル箱東阪の市外直通話数シェアは、91年NCC3社で約50%を達成。93年NTTにとりお荷物の移動通信本部が分離される。当時ユーザー同士の通話は全通話の0.4%程度であり、94年の端末売切り制以降、携帯電話がアクセス市場での競争代替にまで成長するとは誰も想像できなかった。

 約束の95年、再び諮問され同審議会が「NTTの在り方」を検討するなか、公取系研究会、行改委、全電通らが相次ぎ報告書を公表。分離分割について国論を2分するような情勢へ。同年9月NTTは不退転の決意で市内通話網の全面開放を表明、11月新合理化案と分社化計画を発表し対抗した。

 96年同審議会の答申に対し、NTT宮津社長は、ネットワーク国際化やマルチメディア進展等の視点に欠ける観点から反対。紆余曲折あったが同年末NTTは持株会社制や連結納税制等を前提に、郵政省案の受け入れを表明。両者の取引が水面下で交わされていた。

 結果97年に改正NTT法が成立、臨調から約15年後の99年NTT再編がようやく完了。郵政省は分離分割という名をとり、NTTは持株会社のもと一体的経営(NTT東西とNTTコミュニケーションズ)という実をとった。

民営化と自由競争の結果とその意味

 その後、持株会社制では他事業者との競争関係が希薄だとみた同審議会は、NTTのあり方を答申。それを受け片山総務相は01年5月、NTTの市場シェアが高い現状(コム100%、ドコモ64%)から、持株会社のグループ会社への出資比率引き下げ、地域通信網開放の徹底等をNTTに要請した。

 これを踏まえNTTは01年、転籍・出向で大幅な人員削減策を表明。グループ内でのたらい回しの感もあったが、02年グループ20万人のうち10万人が退職、新設子会社100社で再雇用、転籍先子会社での賃金を3割カットするなど厳しい対応を迫られた。この時点で民営化と競争至上主義の弊害が露呈。NTTを巡る問題で右往左往している内に、わが国は深刻なデフレにトラップされていた。

 少し前の94年、GDPデフレーターでみて経済はデフレに突入。経済成長も短期金利も名目でゼロに張りつくなど、以降10年余デフレは脱却できない。GDPで最大の6割弱を占める消費部門が冷えこみ、総需要と総所得の不足・減少のためモノやサービスが買えない。それゆえ円安を享受できる自動車・精密機械等の一部産業を除き、企業の大半は売上増とならず、かつてのような利益獲得は期待薄だ。仕方なくコスト削減で益出しをはかり、組織に寄与してきた従業員の犠牲のもと株主に報いる。

 さらにデフレは深刻化した。民営化と自由競争は、必ずしも多数の人々に幸福をもたらさなかったし、国益も高められなかった。公社の独占性と非効率性についてメスを入れたところまでは正しかった。ただ、組織を分離分割する際の根拠だった競争上の障害(アクセス網の独占)は、95年のNTT地域通信網の開放と、同時期普及し出したインターネットサービス(IP技術)および携帯電話や無線LAN等の普及・浸透により以前とは様相が大きく変わった。

 競争を通じ確かに通信料金は大幅に下がり、消費者はその利便を大いに享受している。一方、最近のNTT株価は50万円前後でピーク時の15%程度に下がった(競争者の株価も総じて下がった)。市場全体のパイが増えないデフレ下では、市場プレイヤー間で富が行き来するだけとなる。現下の問題の本質は、生活者全体の幸福(効用)と通信産業全体でみた場合の収益力ひいては国益(富や競争力の増大)の観点にある。

 民営化や市場競争原理を重視する新自由主義的政策は、国民経済の回復などで課題・欠陥を残した。公共性と効率性はトレードオフ問題ゆえ、効率性のみの追求は社会的な大事故の温床となりかねない。

竹中懇の置き土産と今後の進路

 「なぜインターネットでポケモンが見られないのか」。竹中総務相の「通信・放送懇談会」(竹中懇)が開催された06年1月大臣は素朴な疑問を抱いた。この放送局を中心の改革シナリオのみならず、竹中懇では広く、電波政策、通信放送融合法制、省庁再編、NHK、放送、通信、研究開発の7つの項目を議論した。同時期にNTTが「中期経営戦略」を公開、グループ経営方針を明確にすると、関係者にNTTの“独占回帰”が想起され、にわかに通信問題がクローズアップされた。また一部構成員の準備・知識不足と時間制約もあり、最終報告では通信問題として主に4つの「2010年問題」が置き土産となった。

 概ね(1)NTT東西のボトルネック(競争障害)設備は機能分離。(2)東西の業務範囲規制撤廃、持株会社の廃止・資本分離等を一体で進める方向。ボトルネック性解消なしには東西の統合等は論外。(3)ブロードバンド時代のユニバーサルサービスのあり方措置。(4)NTTの基盤研究見直し、というものだ。

 さて同(1)と(2)では、IP通信や携帯電話や無線LANなどの普及により、アクセス網での旧来のボトルネック性は徐々に希薄化している。英BTモデルを超えた「資本分離」選択では、過度な公正競争偏重に留まることなく、機器や関連サービス等を含む「情報通信産業」の国内拡大均衡(数的基盤拡大)や国際競争力の点を考慮することで次の飛躍を目指すべきだ。市場がダイナミックに変化すなか米国メガキャリアの統合化の動きもあり、分離分割が常にその効率性を保証するわけではない。しかし、最近のNTT東西の光ファイバー市場での独り勝ち状況は、電電公社の遺産(洞道、電話網敷設既得権等)を継承するものと見なされ得るため、このまま放置すれば来る新時代の競争障壁となろう。

 同(4)の基盤研究は本来分割分離と関係ない。国内での知的資源蓄積とその配分問題のみに終始すると、海外市場で戦うためのわが国の誇るべき研究開発力を殺いでしまいかねない。しかし、研究開発機能を事業体と括りつけた形態とすべきか、または同機能を分離し別組織として独立させるべか議論が分かれる。

 こと基礎研究では後者の選択肢も浮上しよう。NGN時代にあって「2010年問題」の真の解は得るには、視野をグローバルに置き海外投資に資源(人材、資金)を傾斜配分し、国と通信会社とメーカーら関係者が総力を挙げ、インドを含むアジアユニオン(AU)社会経済圏を早期に形成すべきだ。そして持続的発展の精神のもと新時代を航海するための、したたかな戦略・方策を描き実践する時が到来している。

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