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2006年2月23日 (木)

【論考】通信と放送の融合を読む(新媒体・種の誕生の契機(2006/02/23)

 通信と放送の融合にみる媒体(メディア)の変遷は、ある種、地球上の生物進化の過程に似ているようだ。あるいは、哲学的にはヘーゲルの弁証法的な発展を遂げるかのような予感がある。

◆通信と放送の融合の底流にあるもの

 通信と放送の融合の底流にあるもの(本質)を考えてみよう。

 端末などの製品・サービスレベルでの“融合”(例:テレビとインターネットなど)とは、両者の補完関係の現われと表現できる。しかし、生物進化論の最近のある仮説を参考にすると、何も「通信⇒放送」あるいは「放送⇒通信」といった1つの媒体(種:通信インフラまたは放送メディア)が質的に変化することではない。

 むしろ、「通信⇒通信+新媒体(種)」あるいは「放送⇒放送+新媒体(種)」へと、媒体(種)が1つから2つに増加すると考えられる。これは、ミクロ経済学での補完でもなく代替の関係でもない。代替というのは、いわば優勝劣敗という従来の生物進化の原理(ダーウィンの自然淘汰や適者生存に基づく進化論)によるようなものといえよう。つまり、劣者である旧種が優者である新種に取って変わられる。

 しかし、クレイトン・クリステンセン(ハーバード大学教授)の研究をみても、これは必ずしももそうなっていない。むしろ、最近の動きとして、劣者であったはずのIP技術が、優者である回線交換技術を凌ごうとしている。一見ローテクの破壊的技術群が勝つ“劣勝優敗”となっている。そして、ここでの劣者に注目すると、例えば、IP技術の改良・革新には、圧倒的に多くの参加者が介在していることに気づく。

 小さな改良が連続し、あるクリティカル・マス(臨界点)を超えると、まるでヘーゲル(またはエンゲルス)の弁証法において、相互対立要素が止揚(アウフヘーベン)されて、新たな異質の要素を生み出す、つまり革新(イノベーション)が起こることに似ている。

◆生物進化と弁証法的発展

 かつてヘーゲルは弁証法的発展の説明として、古いものが否定されて新しいものが現われる際、古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古いものが持っている内容のうち、積極的な要素が新しく高い段階として保持されると考えた。この考えは、前述の生物進化論の仮説とも重なるものがある。

 ヘーゲルのいう、概念が自己内に含む矛盾を止揚して高次の段階へ至るという論理構造は、「正・反・合」という3つの段階で示される。ここで重要なことは、最初の「正」(始原または起点となる状態)の段階では、相反する要素(種)が存在しているととらえることだ。

 つまり、同種のものだけがあっても、発展(進化)は起こりえない。「反」という2つの中心(種)が存在することで初めて、「合」(新種の誕生)に至るということだ。

◆「新媒体(種)」誕生の契機を与える主体

 やや哲学的(ないし生物進化論的)になってしまったので、現実のIT産業の直面する状況に立ち返ろう。

 通信と放送の融合の底流にあるものは、現媒体(種)についての変化ではなく、新媒体(種)の創出とみなせよう。そして、新媒体(新たなメディア)は、現下の伝統的な通信や放送ビジネスよりは、一見見劣りするような、しかし多様でオープンな技術群(種)が一定のビジネス環境のもと生き残ることで誕生するとも予見できそうだ。

 このことは大変重要な意味をもつ。つまり、「新媒体(種)」誕生の契機を与えるのは、現下の通信会社や放送会社ではない可能性が高い。まるでまったく異質でかけ離れたところにいる経済主体(企業)が、その役割を担うことが予見される。

 また、生物進化では「中間的な種」が存在しないように、媒体の進化でも、中間種(言い換えると、単なる融合・統合レベルのもの)は存在しないのかも知れない。いまの通信と放送の融合の先にあるものは、両者とはまったく異質な新種であるという可能性だ。

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