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2006年2月16日 (木)

【論考】通信と放送の融合を読む(民放も例外ではない)(2006/02/16)

 いま動いている竹中大臣懇では、NHKだけが改革の対象ではない。民放もその対象とすべきだろう。そうでなければ、小泉改革の目玉である“構造改革”にはならないのだろうから。現下、放送会社のよりどころとする視聴料モデルは、しだいに時代にそぐわなくなっていくだろう。通信と放送の融合という流れにおいて、インターネット(通信)と放送の関係は、いまの相互補完の関係から、やがて片方が他方を代替する局面も出てくるに違いない。

◆視聴料至上主義からの脱却

 まず、引き続きNHKについて考えてみたい。NHKの番組のなかでもNHKスペシャルのようなものは、視聴率ねらいの低俗な番組しか手掛けられない民放ではとてもできない代物だろう。この種のものは、引き続き新生NHKに期待したい。これなら視聴者も対価を払おう。

 ただ、視聴率という尺度は、わが国が高度経済成長にあったときの大衆向けのものである。人々が経済的に豊かになれば、国民の趣味や趣向は多様化する。テレビ視聴料のみに右往左往すると、NHKも民放も足元を救われる。

 民放のテレビ広告市場は年間2兆円ほどある。しかし、テレビ広告をいま、どれだけの視聴者がまじめに見ているのだろうか。インターネット広告は、企業の販促市場13兆円と代替的な関係になりつつある。つまり例えば、ここ数年、インターネット広告とダイレクトメールは負の相関が認められる。

 一方、インターネット広告はセグメント顧客に対して、その広告効果を把握しやすいため、テレビ広告収入の多くがインターネットに移転することもありえる。確かにテレビ広告は、流行づくりに適しており視聴者へのインパクトが大きいものだ。インターネット広告では、消費者を購入へと円滑につなげるために役割を担っている。こうした現在の実態は、両者棲み分けの関係、つまり補完関係にあるといえよう。

 しかし、これがいつまで続くかだ。当初補完関係にあった財・サービスが、やがて代替関係となり、主従が逆転した(または、しそうな)ケースはいくつもある。例えば、古くはレコードとCD、最近ではCDとiPod(アップル社)、さらには、アナログカメラとデジカメなど。これらのケースでは、いずれもデジタル技術が下敷きにある。

◆電子ペーパー状のディスプレイでテレビを見る(テレビ画面上での融合)

 広告分野では視聴者のコンテンツに対する認知の要素がその効果を左右するため、見ているディスプレイの大きさ、迫力、リードタイム性、あるいは広告コンテンツのメッセージ性などが重要となる。したがって、前述のような単なるデジタル機器のケースとは事情が異なる。ここで、テレビはケータイ端末に比べ、画面が大きく迫力があり操作が簡単といった程度のことが、視聴者の認知に有利だとすれば、いまのテレビの王様としてのポジションは今後弱まる傾向が続く可能性がある。

 将来の技術的なトレンドを概観してみよう。例えば、有機ELのような素材で電子ペーパー状のディスプレイが、直に商用化されるに違いない。具体的には、ケータイ端末の背面に電子ペーパーが巻き込まれており、ユーザーはいつでもどこでも(モバイル環境)にて、その柔らかくて、引き伸ばせば大きな画面に早代わりするディスプレイ上で、コンテンツを視聴できるようになるだろう。こうなれば、着座型で楽しむいまのテレビよりも、パーソナル性とモバイル性がある分、テレビに比し別の広告効果を出せる。

 以上のように、視聴者がコンテンツを楽しむ環境には着座型とモバイル型に区別できよう(他にもあろうが)。そして、自宅などの“第1拠点”やオフィス・学校などの“第2拠点”における着座環境と、その間に位置付けられる“第3拠点”としてのモバイル環境とでは、広告のねらいも変わってくる。前者(第1・2拠点)は従来の広告効果(流行づくり、インパクトのねらい)を、また後者(第3拠点)は販促向けの広告効果(セグメント別に絞り込んだメッセージ送付、および双方向コミュニケーションによる顧客接点の拡大)を期待できる。

 モバイルという新たな環境で、追加的な需要をが引き出せれば、言い換えるとテレビを見る・“利用する”時間が増えれば、両者は補完関係のまま推移することともなる。マクロ経済でいう総需要(あるいは総所得)が増えれば、両者の市場規模は拡大推移することとなる。一方、モバイルの延長で着座環境にあるテレビを見るような状況となれば、確実にテレビの代替は進む。通信と放送の融合状態とは、両機能(両中心)の補完か代替かの関係を示しているともいえよう。他方、次回で触れるつもりだが、将来のIT産業の底流には、両者(産業の中心または種)とは異質の新たな中心(種)が誕生すしている可能性は高そうだ。

◆身近なところでは端末レベルでの融合が進む

 近未来に話を戻せば、そのような産業の中心の誕生とか、その中心の位置の変化・移転といったものの前に、より現実的なものとして、いくつかの具体的な動きは出てこよう。

 例えば、送り手からのメッセージに動画が含まれているような場合、受け手のケータイ端末に表示される段階ではテキスト表記であっても、その端末をテレビなどの大型ディスプレイにかざせば、当該動画コンテンツがスクリーンに映し出されるといった仕掛けをつくることもできよう。

 あるいは、デジタルテレビの横長ディスプレイにおける左右どちらかの側に表示させる広告メッセージ等を、インターネットからのものとして表示させれば、視聴者はテレビの映像とインターネットの情報を、テレビ画面上に融合できよう。

 通信と放送の融合は、何もどちらかの側の企業や事業を買収するなどの荒業に出なくとも、まずは端末レベルで融合させることができる。このような融合サービスは、次第に市民権を得ていくのではないだろう。

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