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2009年7月23日 (木)

【経済教室への感想】邦銀再生と低収益体質の関係に垣間見えるからくり

■タイトル :邦銀再生の視点(下) 低収益体質の脱却急げ(貸出金利引き上げも:信用保証、再検討が必要)
■媒体と掲載日 :日本経済新聞『経済教室』2009年6月9日
■論考の書き手 :大手外資系コンサルティング会社Hディレクター
 (備考 :米名門P大学WビジネススクールMBA、専門はファイナンス)
■「ポイント」 :
 * 邦銀の利ざや、欧米銀行から大きく見劣り
 * 取引先の株式保有も低収益体質の一因
 * 適切な金利設定、資金の借り手も理解必要
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■「ポイント」の有効性 :【×】(私の感想)


 当論考は、大手企業や日本政府を主たるクライアントとし、このようなクライアントもしくは関係業界(金融など)に対し、少なくともちょっと前までは絶大な影響力を及ぼしていた、大手外資系コンサルティング会社幹部による、企業サイド(ミクロ経済面)からの発想で見た場合の、邦銀再生に向けた金融業界(ひいては日本経済というマクロ経済面)への提言に関するものです。

 私の感想をまず一言示すとすれば、MBAホルダーや経営コンサルタントが陥る(あるいは、意図的に仕掛ける)、特定組織への利益誘導に向けた、自社の経営戦略上の(≒ご都合主義的な?)メッセージと言えましょう。

 米国のビジネススクールで学んだ程度の知識や、経営コンサルティングなどの仕事のみにずっと従事しているだけではどうしても、その知識や発想・考え方に偏りが出て来ます。私もそのことに気付かず、ずっとそうでしたので。^^;

 Hディレクターの仕事と私の仕事は同業でもあり、恐らく日本の大型M&A(私の場合は情報通信産業やハイテク産業が主)に関するビジネスでは、これまで競合になった場面もあったはずです。最近の情報通信産業での案件では、クライアントは外資よりも日本企業へ(あるいは両方へ)相談することが増えているように感じます。

 前回同様、Hディレクター個人を批判するものではありません。ある意味同業者だから分かる、その考え・発想の傾向・特質についての、私の感想を示したいだけです。

◆欧米銀行から大きく見劣りする「邦銀の利ざや」をマクロ面で見ると・・・

 当論考で示されている通り、邦銀の収益源には、次のようなものがあります。

① :スプレッド(貸し出し金利と関係コストとの差)。
   関係コストとは、預金や市場から資金を調達する際の金利やその他コストのこと。
② :手数料(金融商品・サービスの提供による対価)。
③ :金融資産の保有・売買から得られるリターン

 まず①「スプレッド」について。

 Hディレクターは、≪金融機関の法人貸し出しの収益性」というグラフを示しつつ、「邦銀のスプレッドは欧米に比べ顕著に低い状態が続き、2007年度では欧州の銀行の75%(例:2%に対し1.5%程度)、北米の銀行の半分(例:3%に対し1.5%程度)に過ぎない≫と記す。
 そして、続けて≪その主因は、日本の法人顧客向け融資の金利が、欧米に比べ低い水準(安い価格)にある点にある。(略)「銀行間の競争が厳しく、金利が上げられない」という声がよく聞かれる≫と。

 ミクロ面では、このような実態があることは確かでしょう。
 ただスプレッドを決める「関係コスト」については、邦銀も欧米諸国の銀行もそう変わらないと推定されますので(かつては確かに邦銀従業員の平均人件費等は米銀の役員並みに高かった)、問題は引き算される側の「貸し出し金利」に集約できましょう。つまり、日本では長期金利が低く、欧米ではそれが低いという、ここ最近のマクロ構造そのものに関することです。

 となると抜本的な問題は、「グローバル・インバランス」が背景にあります。経営コンサルタントの通常の仕事では、あまり意識しない領域でしょう。

◆背景には「グローバル・インバランス」がある

 「グローバル・インバランス」とは、文字通りには、世界的な経常収支の不均衡のことです。しかし、この説明では分からないでしょう。2つの側面から、補足します。

〔A〕政治的な思惑・駆け引き
 米国という世界最大の債務国にとって、これまでずっと毎年のように約100兆円(@1ドル=100円換算)ほどマネーが足りず(最近では200兆円規模)、放置しておけば財政破綻(ドル暴落など)につながりかねない状況にある一方、債権国の国々(中国と日本のほか、アラブなどのGCC諸国)からの証券投資(金融資産投資)により、米国へマネーが循環しているメカニズムがあります。
 このような世界の覇権国を下支えする、政治的な思惑・駆け引きが存在します。

〔B〕投機マネーによる撹乱
 また、米ウォール街や英シティあるいはカリブ金融センターなどに出入りする膨大なドル資金の流れがあり、これが投機マネーとして、各国の国内経済に多大な影響を及ぼしています。 

 以上のような、特に「グローバル・インバランス」の背景にあって、日本経済に必要なはずのマネーが米国へ流出(循環)している実態があります。
 日本が低金利であり(にしており)、逆に米国が高金利である(にしている)ゆえ、この循環が成り立ちます。両国の為替担当者の思惑が感じられるところです。

【補足】より正確にマネーの行き来のドライバーを考えると、必ずしも「(名目)金利の高低」ではなく、実際は「実質金利」を見るべきでしょう。
 つまり、「物価上昇率の高低」を考慮することが求められます。言い換えると、両国の富を生みだす企業の「国際競争力」は、この「物価上昇率の高低」に規定され、そこで通貨の強さ(為替レート)も決まります。
 このように競争力の高い国へマネーが流れる、という見方ができるはずです。

◆為替のマジックと資産バブルの後遺症

 もちろん、米国の証券投資のかたちで、米国の金融資産をもつことになります。そして、その多くはTB(財務省証券=米国債)であり、たいがい10年か30年物の米国債なのですが、その期間中には利子は付きません(リターンを生みません)。

 従って、注意すべきは、ドル高・円安時期に購入したドル建て米国債(例:利子率7%)に、例えば、10年後に元金と合わせて約2倍のリターンとなったと思いきや、なぜか2倍ほど(例:1ドル=200円が100円へ)円高に触れることで、手にするマネーはほぼ元本そのもの、ということも少なくないようです。これが為替のマジックです。^^;

 「邦銀のスプレッドが欧米に比べ顕著に低い」のは、このようなグローバル・インバランスという、債務国と債権国との間の掟・取り決めによるものがマクロ面での背景として透けて見えているのです。

 また、日銀の超流動性過剰策を通じ生成された、1980年代後半の土地・株式の資産バブルが、1990年以降一気に大蔵省が土地関連融資の抑制を行うことで、急速に破裂させてしまったがゆえに、膨大な資産バブルの後遺症として、金融機関に多額の不良債権の処理を強いることになりました。

 この後遺症は向こう15年ほど続くことで、邦銀の企業への融資が滞りました。一方で企業もバランスシートを毀損していましたので、負債を減らすことが迫られました。
 また、家計(一般の消費者)もデフレゆえの不況により所得が増えないため、貯蓄を食い潰してしか消費(生活)ができません。

◆異常な資金循環

 つまり、邦銀の最大の借り手である法人企業において、資金を借りるニーズが大きく減少し続けました。この異常な資金循環により、何もしなければGDPはマイナス成長に落ち込みます。辛うじてそうならずゼロ成長に留まった最大の要因は、政府がマネーを使っていた(政府支出=財政出動があった)からでした。

 本来であれば、バブル崩壊直後の1991年頃までのように、家計の豊富な貯蓄が邦銀の負債を形成し、その負債を基に邦銀が企業(非金融法人企業)に貸し出すことで、同企業は資金を調達できます。
 その資金で設備投資ができ、この投資により商品・サービスが市場に提供され、それが購入されて収益を生みます。GDPも増加します。これが正常な資金循環ループでした。

 ところが前述の通り、ここ15年以上の日本経済の資金循環は異常なトレンドとなっています。今も続いています。これでは経済成長などできるはずがありません。

 このように正確には、「銀行間の競争が厳しく、金利が上げられない」と言うよりも、両国の為替担当者の絶妙な為替管理、言い換えると“呼吸・息づかい”や、日本経済が陥って久しい異常な資金循環ループが背景にあるのです。このからくりは、エコノミストの間でさえ十分には知られていないようです。ましてや、経営コンサルタントにとっては論外でしょう。

◆市場重視の(?)為替介入ゼロの5年間

 当論考では≪日本のスプレッドの薄さは、資金の貸し手にとって、「日本で貸し出しを行う方が収益性が低い」ことを意味する。逆に、借り手からみると、「日本の方が有利に調達できる」ことになる≫とあります。

 円キャリートレードなどは、この後半の箇所に起因する代物です。「日本のスプレッドの薄さ」(≒低金利で調達できる円通貨)が、海外の投資家や投機屋に利用された訳です。

 つまり、結果的にはからずも(?)、日本の為替政策が収益獲得の機会を彼ら外資に提供していたのです。

 ちなみに、先日(2009年7月14日)退任したS財務官(伊ローマのG7で、泥酔したN前財務大臣が記者会見した際の左隣りに着席)や前任のW財務官が勤めた約5年間での、為替介入(財務官の権限)はゼロだったそうです。

 為替相場を放置しておく(≒市場原理に任せる)ことが、日本の国益にとって果たしていかがなものだったのでしょうか・・・

◆外資系アナリスト・コンサルタントに見られる思考パターン

 次に③「金融資産の保有・売買から得られるリターン」について。

 ≪筆者が注目するのは、邦銀の株式の動向である。(略)証券取引所に上場する企業の株式のうち、邦銀と地方銀行が保有するシェアは、時価総額ベースで、1990年の15.7%から06年には4.6%に低下した。ところが、07年末には4.7%へと上昇に転じている。これは、会社法の改正やファンドの台頭に伴い、敵対的買収を憂慮した銀行に自社株式の保有を依頼する動きが目立っているためと思われる。≫

 こうありますが、その保有時価総額が「07年末には4.7%へと上昇に転じている」と言っても、この時期は世界的なバブル時期であり(当然、ピーク水準に株価はあった)、デフレが続く日本でさえも、輸出による変則的な好況要因だったとは言え、その例外ではありませんでした。従って、時価総額が高いのは当たり前。

 つまり、邦銀に自社株式保有を依頼した上場企業が、必ずしも敵対的買収を憂慮したことが要因だったかは分からないでしょう。

 ≪日経平均株価が低迷するなか、邦銀の株式保有は収益の圧迫要因になっている。(略)景気が悪い時期は株価が下落した会社をM&Aできる好機であるが、邦銀は収益の重しがあるため、M&Aによる思い切った収益向上策をとる機会を逸している。≫

 これは現在(2009年6月)の話しです。
 どうやら邦銀に積極的なM&Aを勧めているようです。確かに邦銀の収益源としての、上記①スプレッドで見込めないのであれば、残りは②手数料や③金融資産の保有・売買から得られるリターンとなります。
 M&A市場が活発になれば、邦銀も外資コンサルティング会社も収益機会を見込めますね。

 ≪日本市場では信用市場が発達しておらず、貸出債権は転売しにくい。その結果、邦銀のバランスシートが水ぶくれし、これが企業の資金調達にマイナスに働く側面も見逃せない。欧米では金融機関の貸出債権の転売が活発である。(略)今回の金融危機では、市場が機能不全を起こすことがある点が広く理解され、間接金融の重要性が再認識されたともいえる。≫

 このような書き方は、新古典派経済学に影響された(グローバリズム信奉者)の、外資系のアナリストや経営コンサルタントに、よく見られます。

 貸出債権などの金融商品の中には、リスクの高い債権もあるでしょうから、そのリスク込みの債権を転売し、それがまた転売されるなどのリスク拡大の連鎖が、サブプライムローン問題に端を発した「リーマン・ショック」以降の「今回の金融危機」につながったのではないかと・・・

 当論考の主張と今の金融危機とは、同じようには比べられないでしょうが、仮に邦銀のバランスシートが膨らむことが多少あっても、健全な日本の金融市場を維持するためには、欧米のように貸出債権の転売が活発であることが、果たしてよいことなのかどうか・・・

 また、今回の金融危機の原因を「市場の機能不全」に帰するのは考え物です。
 「市場」のような顔のない漠然としたものに、原因をなすりつけても真の解決には至りません。真因は別のところの顔の見えるもの(者?)だった可能性はないのでしょうか。
 本当の金融のプロであれば、私の言っていることがきっと分かるのではないかと思います。

◆国による信用保証制度がなぜ問題なのか?

 ≪この際に問題となるのは、国による信用保証制度のあり方である。これは、民間金融機関による中小企業向けの貸し付けに対し各地にある信用保証協会が保証を付けて、中小企業の資金調達を円滑にする仕組みである。(略)この制度が、実は一方で貸出金利の構造をいびつにする側面を持っている。(略)期待損失と資金調達コストを下回る金利で貸し出しが行われていることを裏付けるものだ。その差額は保険で補てんされることになる。≫

 とありますが、国による信用保証制度が果たして問題なのでしょうか。

 貸出金利の構造については、前述の通り、世界経済における「グローバル・インバランス」や国内経済での「異常な資金循環」が真因なのですから、この制度が同構造をいびつにしていると考えるのは、的をはずしているか、恣意的な自社経営戦略上の打ち手に過ぎません。
 恐らく両方でしょうが・・・

 その差額(=期待損失-資金調達コスト)を下回る金利での貸し出しリターンを同保険で保証し、中小企業を支援することは、真っ当なことでしょう。

 日本経済全体として、金融機関の数が多いことは、システミック・リスクを軽減することでも重要かつ健全なことです。

 1998年の外為法大改正、同年末の金融再生委員会設立(以降に始まる大蔵省解体)などに見られる「金融ビッグバン」により、邦銀の数は大幅に減少しました。金融ビッグバンなど、わが国とは事情が大きく異なる英国の物まねに過ぎなかったのです。

 結果、例えば、GDP比で当時2倍ちょっとあった米国の金融機関数は、日本のそれと比べ約5倍もあったにも拘わらず(ドイツでも類似の状況)、日本の金融システムにとっては、むしろ「いびつな構造」をつくってしまったのです。こちらの方がよほど大きな問題なのです。

 また、中小企業を救済・支援することは、雇用面などの社会的な意味があります。また、日本の労働者の圧倒的多数が働き口が中小企業なのですから、圧倒的な消費者(国民)の所得(購買力)が下げれば、大企業の収益をも引き下げるのです。これがデフレ経済の特徴です。
 つまり、デフレによる不況下にあって、中小企業を救済・支援しないことは、却って日本経済全体を悪化させることになるのです。
 新古典派・構造改革派的な発想をすると、このような事態に陥るのです。


◆信用保証制度の見直しと持ち株保有の依頼への拒否という結論では・・・

 最終パラグラフには、≪(略)信用保証制度の見直しを求め、既存の制度が信用市場に与える影響を検討すべきである。(略)持ち株保有の依頼に対し毅然とした態度をとることも必要である。≫とあります。

 このあたりが、当論考の結論なのでしょう。

 しかし、この2点(信用保証制度の見直し、持ち株保有の依頼への拒否)により、いったい誰が得をするのでしょうか。日本経済や日本国の国益にとって、こうすることがどのようなメリットをもたらすのでしょうか・・・

 また、邦銀の収益体質に関しても、以上のマクロ経済面での課題を解決することなしには、つまり当論考で示された方法では、決して抜本的な改善には向かわないのではないでしょうか。

 このコラムの読者には、これ以上の説明は要しないと思います。^^;
 

PS:
 何だか前回に続き、冗長な文章になってしまいました。書き記しておきたいことがふっと浮かぶものですから、つい脱線してしまいました。言い訳です。^^;
 
 

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2009年7月22日 (水)

【経済教室への感想】情報化投資の成否が中期的な経済成長を決めるのか?

■タイトル :中期的な日本の経済成長(情報化投資の成否が左右)
■媒体と掲載日 :日本経済新聞『経済教室』2009年7月20日
■論考の書き手 :国立大学経済学部のS教授(日本○○○○センター主任研究員)
 (備考 :情報経済学を専門とする経済学博士)
■「ポイント」 :
 * 中期的な経済成長、悲観・楽観とも禁物
 * 2010年代に新たな情報化の投資機会多く
 * あらゆる分野でのIT利活用へ環境整備
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■「ポイント」の有効性 :【×~△】(私の感想)


 この論考の特徴は、典型的なサプライサイド派の主張となっていることでしょう。

 サプライサイド派とは、広く古典派・新古典派(ニュークラシカル派)に属する、現実の経済や社会の問題解決と言うには、かなり浮いた、最初から決まっているような、観念的なあるべき姿が陽に陰に見え隠れしている経済学の考え方と言うべきものでしょう。

 S教授とは、国のある研究会などで、よくご一緒しますし、そのお人柄など存じ上げていますので、個人的な攻撃をしようとは、全く考えていません。
 むしろ、私もかつて同様な発想を持っていましたので、そのささやかな気づきを感想として示しておきたと思うだけです。

 この種の発想・考え方が、どうやら実は経済成長には、殆どつながらないだろう、ということが自分なりに段々分かって来たからです。

◆クライン(Lawrence Klein)博士の主張を巡る誤解

 霞が関の官庁エコノミストは、特に安倍政権以降、“上げ潮”派という呼び名の人々は、生産性向上を通じ、GDPを増やすこと(経済成長)を重視します。

 当時のY財務大臣らの主張する増税派(消費税値上げ派)とは、一線を画したアプローチを強調します。ただ経済成長という効果面では、同じ穴のムジナなのかな、と感じていますが・・・

 ちなみに、“上げ潮”派とは、Lawrence Klein博士(ペンシルベニア大学教授)を中心に多数の経済学者で著した著書"The Rising Tide"に起因したネーミングだろうと言われています。
 同著書は、1990年代初頭の低迷する、特段深刻なデフレ下にあった訳ではない、米国経済を活性化させるための方策をまとめた論文集のようです。

 このKlein博士は、新古典派総合(ネオクラシカル)派に属すると言われますが、この派は、紛らわしいのですが、新古典派(ニュークラシカル)とは全く異なるグループであり、博士はケインジアンと言ってよいでしょう。つまり、デフレ下においては、生産性の向上などよりも、財政出動による有効需要の効果を重視します。

 実際2004年10月、あるシンポジウムが東京都の九段で行われ、そこに招かれた教授は≪1~2%の低い成長を目指すのならそれでも良いが、4~5%といった比較的高い経済成長率の達成には、日本は財政出動(教育関連支出含む)を考えるべき≫と語ったそうです。

 一方、自民党上げ潮派(当時のN幹事長ら)やこのS教授、あるいはKlein博士の元で勉強した、また日本経団連の21世紀政策研究所のプロジェクトの確か実質リーダーであったK氏(ペンシルベニア大博士。専門は計量経済学)らが、同教授にアドバイスを受けつつ、あるレポートをまとめました。

 そのレポートの概要は、K氏は2008年12月5日付の『経済教室』の「ニューエコノミー下の実体経済 3~4%の成長を目指せ」と題する論考で、示されました。
 ここで、Klein博士は≪日本の潜在成長率を1.5%程度と見込むのは低すぎ、ICT(情報通信技術)の積極活用を図れば3~4%の成長が可能≫とアドバイスしたようです。

 Klein博士は恐らく、財政出動を進める中で、ICTの積極的活用をご提言されたのではないかと感じます。
 同博士の主張は矛盾していません。財政出動(マネーの新規投入)で総所得(購買力)を増やせば、総需要が喚起されますので、企業の収益が増大します。そうなれば、ICT企業も設備投資余力が出てくるため、ICTの積極的活用を促すことの意味が出てきます。

 どうもICT産業やICT行政に従事する皆さんは、ICTに関連する部分のみに着目して物事を捉えようとする(我田引水の)傾向がありますので、そのメッセージの受け手では、メッセージの内容を都度整理しておくことが求められます。つまり、主従関係や優先度の類です。この場合には、あくまでICTは「従」である、ということなのです。ミクロはマクロに抗し難い・・・

◆IT導入による生産性向上はそれほど効果があるのか?

 当論考では、その生産性について、「製造業の設備過剰が問題となる一方、医療サービス業の一部は供給不足が深刻で、IT導入による生産性向上が求められている≫と示されています。

 生産性向上は、現下のデフレ経済では、それを強調するのは考えものです。確かに、特に地方の医療現場などでは、十分な医療機器が導入されておらず、また医師の不足などもあり、供給不足の状態にあると言えましょう。しかしながら、本文にも製造業では設備過剰とあるとおり、経済全体(マクロ経済)を見ることが重要です。

 経済全体では、デフレ状態にあるということは、総需要が総供給を下回っていることを意味します。つまり、労働と資本設備の両投入量が非稼動な状態にあるのです。しかも、その非稼動なボリュームは膨大です。どこかで記したいと思いますが、資産すると実際のGDPの30%近いギャップ(=GDPギャップまたはデフレギャップ)が存在すると思われます。政府内閣府がこれまで公表してきた「±4%前後」とは大きく異なります。最近でも、8~10%といわれるデフレギャップですが、それよりもはるか上に潜在GDPの天井があると考えられます。

◆イノベーションとしての新技術が登場しても却ってデフレが固定化することも・・・

 当論考では、≪今回の不況で旧来型の輸出主導による成長の限界が露呈したが、企業投資、特にイノベーションの中核にある新技術への投資が低調では構造変化が進むはずもない。≫と続きます。

 前半部分は正しいと思いますが、後半の分析はかなり違うかなと思います。

 前半部分の解説をすると長くなりますので、別の機会に譲りポイントのみ示します。
 日本経済の膨大な貯蓄が国内経済で使われずに、海外にその投資先を求めるかたちでマネーが流出(正確には、米国等の金融資産をドルで購入してそれを所有)して来ましたので、ドル高・円安が生じ、輸出企業には追い風となりました。
 つまり、輸出主導による経済成長モデルなどは、そもそも貿易黒字大国で、一方の赤字国に雇用面などでネガティブな影響をも及ぼしているわが国にとっては、デフレ現下の、そして今後のあるべき(To-Be)モデルとは言えません。内需主導が求められます。

 後半の「企業投資」や「イノベーションと新技術」に関するものも、発想がサプライサイドなのです。繰り返しですが、今の日本経済は総需要が不足しているのですから、これ以上の総供給を増大させる方策は、その新技術により低価格化が進むほど、一層デフレ経済を固定化させ、ますますデフレ脱却から遠のいてしまうのです。

 論考では、≪2010年代には次世代携帯電話事業、地上デジタル放送への完全移行、空帯域を利用した携帯電話端末向けマルチメディア放送など新たな投資機会が数多く待ち受けている≫とあります。

 これも説明が必要でしょう。これら「新技術」や新サービスは、確かに「イノベーション」プロセスを通じ生み出されて来るなど、日本が世界に誇れる素晴らしいものばかりと言えましょう。

 しかし、これら新技術・新サービスが登場しても、思ったほどの収益機会とはならないでしょう。
 2010年代となっても、このままデフレが続くことが濃厚でしょうから、そうなれば依然、総需要ないし購買力が乏しい状況下、消費者はサービスを購入しようにも購入できないことが容易に推察されます。

 抜本的な解決方法としては、新たなマネー投入(通貨増発)による総需要の喚起しかないでしょう。
 そのことで現下、不稼動・非稼動の状態にある資本設備や労働力が甦ります。こうなって初めて、これら新技術・新サービスは日の目を見ることになるのです。

 もちろん、新サービスによる市場はそれなりの大きさに拡大することは考えられます。ただ、GDP(経済全体のパイ)が増大していなければ、他の産業セクターから購買力が移動(マイグレーション)するだけとなりますので、やがて関係企業の売上高は減って行くか、頭打ちになること必至です。このことを15年も、日本経済は続けているのです。

 S教授と国のある政策系研究所のI部長との共同で、≪不況克服の過程で経済構造の転換につながる企業投資が活発になった場合、中期の経済成長率がどの程度加速しうるかを・・・から成るマクロ計量モデルを用いて試算≫した内容が、この論考に示されています。

 例えば、≪企業投資全体に占める情報化投資の比率が2%ポイント上昇するなどの要因が加われば、第一に、基本予測では1%台半ばとなる成長率は、全要素生産性の向上などで2%台半ばに高まる。≫とあります。

 「マクロ計量モデル」の内情を知る身としましては、どれほどの精緻さと仮定・仮設が置かれているか、結果そのものへの解釈への恣意性が入っている余地はどれほどかなど、この計量モデルの限界について、本音が聞きたいとことです。(^-^)

 それはさておき、ソロー(ノーベル経済学賞受賞者)が“残差”として表現している、「全要素生産性」の測定は難しいものです。
 つまり、全要素生産性の経済成長への寄与率がどれほど正確に特定できるか難しい訳ですので、その全要素生産性の向上をもって、経済成長がどれほど増大するかと言う、よくありがちな見方については、あまり意味がないのではないでしょうか。

◆実質債務への言及には同感ですが・・・

 同論考には、さらに≪第二に・・・失業率は0.2%ポイント低下、第三に生産性の向上を通じ賃金上昇率は0.8%ポイント高まる、・・・第四に雇用情勢の改善で消費も刺激されるため、内需拡大効果で輸出依存度が低下、第五に財政赤字のGDP比は基本予測に比べ2.4%ポイント抑制される。≫とあります。

 このうち「失業率」や「賃金上昇率」なる数量的な改善度合いについて、同「マクロ計量モデル」の信憑性もさることながら、もしかすると「企業投資」による効果としては、そんなものかも知れません。
 ただ核心は、「中期の経済成長」には、「企業投資」のみではさほど大きな効果はなく、前述の通り、むしろデフレを固定化させる要因となることで、逆効果となってしまうことすらある可能性があります。

 また「内需拡大効果で輸出依存度が低下」について、この論考では、総需要増大策が何も見当たりませんので、現実性は乏しいのではないでしょうか。

 ただ「財政赤字のGDP比」を取り上げていること、そしてその重要性が示されていることには同感です。財政赤字そのものの大きさ(=名目債務)は、さほど意味がない一方、財政赤字のGDP比(=実質債務)は重要なことです。

 つまり、国の債務が現在800兆円ほどあって、それが膨大で国家破綻だと言うエコノミストが多いのですが、本当にわが国が破綻状態にある国であれば、国債の金利はとうの昔に上昇しているはずです。
 にもかかわらず、いまだ世界一というほど低金利で推移している現状からは、政府と日銀の国債の保有率が他の主要国に比べ高いとは言え、極めて日本国債は市場から信用されているという状況下にあることを物語っているのです。

 一方、本来の景気対策、つまり、総需要を喚起するための新たなマネー投入(通貨増発)を講じることになれば、第一~第五に示されたような数量的な改善度合いなど比ではないでしょう。もちろん、実質債務をもっと大幅に軽減できます。従って、増税派の財政均衡(2011年のプライマリー・バランスの実現)などは、主客転倒のアプローチです。デフレ下では財政出動による通貨増発は、世界の常識です。デフレ下で財政均衡をはかろうとすると、却って実質債務を悪化します。失われた15年間、実際そのようになっています。

 エコノミクスの基本に立ち返れば、言い換えると新技術やら企業投資などのサプライサイド要因のみに、その打ち手をフォーカスせず、(また増税派のような財政均衡実現至上主義に走らず)、本来の対策を実施できれば、劇的な改善がはかれるはずなのです。

◆企業投資が強調されても中期経済成長率は期待できない

 結論的なメッセージとしてこの論考では、次のことが示されています。

 ≪企業投資に主導された成長加速の時期が訪れないと、情報化の波に乗った構造変化が進まず、1%台半ばの中期成長率達成さえ難しい。(略)企業の投資行動は、期待成長率と表裏一体でないと、一時的に盛り上がったとしても短期で終息してしまう。≫

 このような見方は、世界の経済対策などと比較すれば、周回遅れ、もしくは大きくポイントをはずしているのではないかと考えています。

 欧米や中国では、いま財政出動型の景気対策ないし経済浮揚策が採られています。このメッセージのようなサプライサイド派(ある種の新古典派、構造改革派)ではなく、ケインジアンそのものの政策です。

 米国も中国も、プラグマティズムの国ですので、一見美しく見える新古典派経済学の市場原理主義や構造改革などは二の次なのでしょう。
 米国は日本へは、構造改革を毎年要望しますが、自国では殆どやりません。2001年にWTOに加盟した中国も通貨(人民元)を不当に低いままに放置したまま、その構造を抜本的に変えようなどの改革には着手しません。これが世界の現実です。

 こうしたメッセージは、例えば米国の1990年代中頃からのインターネットが普及し出した当時の、そして「インフレ無き成長」とグリーンスパンらに形容された、シリコンバレー型産業が牽引した経済モデルであれば、あるいはKlein博士らが"The Rising Tide"と形容した経済パターンであれば、それもある程度理解できます。

 しかし、日本経済は深刻な総需要不足(≒通貨が回っておらず購買力が乏しい状況)なのですから、上記メッセージは的外れになっている感が否めません。企業投資が強調されても、そうできない次のような2つの事情があります。

① :一部の大企業や輸出型企業を除き、1990年代の土地・株式の資産バブルの崩壊度合いが余りにも大きく(GDPの2.7年分)、それゆえ長い後遺症(失われた15年)が続いていた関係で、毀損したバランスシート改善のために、手持ち資金は借金返済に回らざるを得ず、新たな設備投資ができないでいるのです。
 野村総研のリチャード・クー主席研究員も指摘していることです。

② :今の日本の実態として、期待収益率が見込めない投資案件ばかりの状況にあります。
 言い換えると、総需要がない(買手である消費者や購入企業の購買力がない)ため、新技術を用いて高機能・高品質かつ適当な価格帯の商品・サービスであっても、それを購入する余力(可処分所得)がないのです。

 マクロ経済とは、その国の経済が置かれた状況(インフレ気味かデフレかなど)や、あるいはいつの時代に主流として採られた方策なのかの選択性(とその能力)などを、総動員して取り組まれるべき対象だと考えます。

 今回は触れませんが、別の要因、例えば、一国の経済やグローバルな経済の動静を決定している、経済主体(消費者などではなく、多国籍企業の経営者や国際金融家ら)の思惑・利害までも勘案して初めて理解できる、総合的な研究対象または生活ための対象(≠単なる学問対象)が、マクロ経済なのだと考えています。

 以上、当論考につきましては、殆ど文章も推敲せず、またこのコラムの構造やストーリーなどにもおかまいなしで、思いつくままに書き記しました。辛抱強いお付き合い、有り難うございました。(^-^)

PS:
 よほど仕事が多忙を極めない限り、以降、当コラムは1週間に1度程度のアップを目標としたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。

 

 
 

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2009年7月21日 (火)

【経済教室への感想】はじめに

 今回から、暫く(どこまで続くかな?)、日経『経済教室』寄稿論考への感想シリーズを、このカテゴリーに記してみたいと思います。

 日経新聞の『経済教室』が、わが国経済分野でのリーディング媒体となっています。大学を出たばかりの社会人(フレッシュな若者)には、日経を理解するだけでも大変かも知れません。ましてや、『経済教室』となると・・・

 このシリーズのねらいは、こうした初学者に限らず、企業でビジネスを担当している皆さん(例:マーケティング、財務、研究開発、組織・・・)や経営幹部、あるいは霞が関官僚(主に金融庁と財務省と日銀を除くかな?)の皆さんをも意識したいと思います。

 実は、常識や正論と思われることが非常識極まりなかったり、単に日本だけで通用するものだったり(その逆だったり)、あるいはインフレ下かデフレ下かで異なる見方をすべきであるにも拘わらず、常に一定の見方しかしていないことなど、本当にそうなのか、ということが少なからずあるからです。

 経済学(+金融+財政)という分野は、元々私のように物理学を学生時代にかじった者としましては、信じ難いほどにアバウトな側面(例:経済モデルの厳密性など)がある一方、マクロ全体(+経済へ影響を及ぼしている人々の動静)で捉えねば見落としてしまうようなことが、結構あることに段々気付いてきました。

 なお、このシリーズでは、特定の“専門家”個人や組織、あるいは日経新聞を攻撃しようとは毛頭考えていません。あくまで、その考えや思考パターンについての“感想”を示すだけのものです。
(従いまして、若干ネガティブなコメントになりそうな場合には、意識的に組織名や個人名は、イニシャルのみに留めたいと思います。)

 同時に、その作業を進め、私自身の頭の整理を行う場にしたいと考えています。(^-^)

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